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善悪について

 善悪とは何だろう?

 善悪の基準とは、どこにあるのだろう?

 

 善悪なんて時代によって変わるもの?

 だったらその程度のものを、どうして我々はそんなに必死に守っているんだ?

 

 普遍的で絶対的な善悪の基準というものは存在しないのか?

 あらゆる善悪は、ただの価値観に過ぎないのか?

 人それぞれでいいのか?

 そんなものなのか?

 

 いや、違うはずだ。

 必ずどこかにあるはずだ。

 時代や地域に左右されない、絶対的で普遍的な基準が。

 

 「そんなもの無い」という奴は、ただの思考停止者だ。

 僕はそんな人間に絶対なりたくない。

 僕は絶対に見つけてみせる。

 それまで、考え続けてみせる。

 そこまでしてこそ、人間だろう。

 思考を放棄した者は、ただの動物だ。

 

 

 と考えていた時期が私にもありました。

 多分、二十代前半くらいまでの僕は、毎日そんなことばかり考えてました。

 めんどくさい男ですね。

 

 でもここ数年は、そういうことを考えなくなりました。

 といっても、

 「大人になって割り切れるようになった」とか、

 「大人になって思考することを辞めてしまった」とかではありません。

 善悪に対する捉え方が変わったからです。

 

 そもそも善悪とは

 ただのシステムでしかないんだと思うようになりました。

 そこから私の考え方は大きく変わりました。

 

 どういうことかというと、

 善悪は、水や空気のように地球上に初めからあったものではありません。

 この地球に後から出て来た人間が、後から勝手に考え出した概念です。

 

 ですからそこに、普遍的もクソも無いんです。

 普遍的で絶対的な善悪を探そうとすることは

 普遍的で絶対的なパソコンを探そうとするのと同じです。

 

 そんなもんあるわけないでしょ。

 パソコンとは、ただ時代の変化と共に、それに合わせて進化を続ければいいだけです。

 普遍的で絶対的なパソコンなど、想像できるわけもないし、想像する必要もない。

 

 善悪もこれと同じです。

 

 善悪とは、社会を円滑に運営するためのシステムでしかありません。

 だから普遍的で絶対的なものなど、求める必要はないのです。

 ただ時代の変化に応じて、どんどんバージョンアップしていけばいい。

 それだけなのです。

 

 善悪とはただのシステムでしかない。

 そういう意味では、善悪なんてさほど重要なことではありません。

 少なくとも、「絶対に守らなければいけないこと」ではありません。

 

 でもだからといって、「深く考えなくて良いこと」というわけでもありません。

 ただのシステムでしかないからこそ、人はこのシステムがより最適化するよう、最大限まで思考を巡らせるべきなのです。

 

 ただ、そこで思考するべき内容は、

 「普遍的な基準は何か?」ではなく、

 「現代に暮らす人々が、より円滑に暮らせる基準は何か?」だと思います。

 

 またパソコンの例に戻りますが、

 普遍的なパソコンを考えることは不可能です。

 しかし、現代人がより快適に扱えるであろうパソコンを、工夫することは出来ます。

 善悪もこれと同じです。

 

 普遍性も絶対性も無くていいので、ただ現代人がより快適に暮らして行けるであろうシステムを、みんなで考え、作っていけばいいんです。

 それだけで充分なのです。

 

 私は以前

 こちらの記事で、

 「あらゆる善悪には明確な根拠があるべき」

 「根拠が不明虜な善悪は排除されるべき」

 ということを書きましたが、

 それはこういう思想が根底にあったからなのです。

 

 根拠なき善悪は、古いバージョンの善悪がそのまま残ってしまっているだけのバグのようなものです。

 そんなものをいつまでも残していたら、そのバグによって社会に障害が発生します。

 バグは見つけたら、素早く取り除く。

 新しいシステムに入れ替える。

 そういう姿勢が大事です。

 

 よく、誰もが疑問に感じているのに、なんとなく社会の習慣として根付いてしまっている「変な常識」ってありますよね。

 それが、まさにバグです。

 

 おそらく過去の時代には、なんらかの必要性があって発生した善悪の基準だったのでしょう。

 しかし、現代においてはまるで無意味になっているか、むしろ人々の自由を邪魔する壁になってしまっている。

 

 そういうバグはどんどん察知して、どんどん取り除いて行きましょう。

 そうやって、善悪をバージョンアップしていきましょう。

 みんながそういう意識を持てば、社会は今よりは多少は暮らしやすくなるはずです。

 

 だから人間は、

 もっともっと真剣に、「善悪」について考えるべきなのです。

 

 だからみんな

 もっと哲学しようぜ!!

 語り合おうぜ!!

 厨二臭くて良い!

 ガキっぽくても良い!

 

 そういう子供っぽい純心な考えや疑問こそが

 世の中を進歩させる原動力になるんだ!!

 

 というお話でした。

 

 

 

 最後に、僕の好きな名言を三つほど紹介して

 本稿を締めさせて頂きます。

 

人間は真理を発見するのではない。

人間は真理を創造するのだ。 

 byサン=テグジュペリ

 

時代の空気は思考蔑視に染まっているが、究極的には、思索をやめなかった者あるいは、ふたたび思索をはじめた者に手玉にとられることになるだろう。 

 ベルナール=アンリ・レヴィ「危険な純粋さ」より

 

 http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/meigen2.html

人間は、宗教、哲学、思想など、何らかの世界観を持って生きているが、

その世界観の種類とは関係なく、彼らはおよそ以下の3つに分類できる。

 

自分の世界観を構築している「前提、公理」が何かすら知らないが、

習慣的にその世界観を受け容れているもの。

自分の世界観を構築している「前提、公理」が何かを知っているが、

それが本当に正しいものなのだと信じ込んでいるもの。

自分の世界観を構築している「前提、公理」が何かを知っており、

今のところ、それを正しいとするしかないのだと決断したもの。

飲茶 「第4の選択」

  

善悪は実在するか アフォーダンスの倫理学 (講談社選書メチエ)

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 今回インスパイアを受けた記事

 善がわからない - 反社会的な中学生

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