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誰かを「幸せにする」ことなんて誰にも出来やしない

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 手前味噌で申し訳ないんだけれども、こないだask.fmでこんな質問を貰った。

 

 女性を幸せにするには?

 

 僕はこれに、こう返した。

 

 そもそも「他人を幸せにする」「他人に幸せにしてもらう」という概念自体を、私は滑稽でくだらないものであると考える(^o^)

 例え恋人だろうが家族だろうが、所詮は他人だ(^o^)

 幸せとは、自ら掴むものであり獲得するものであり体験するものである(^o^)

 他人である私に出来ることなど、相手の幸せを邪魔することが無いよう、相手の自由意思や行動を束縛しないことくらいだ(^o^)!!

 

 これについて補足したくてこの記事を書いている。

 幸せとは何だろう?

 その答えは人によって変わるかもしれない。

 ただ僕個人の経験として、なんとなくそうなんじゃないかと確信しているこの世界の法則が二つある。

 

 一つは、「誰かに幸せにしてもらいたいと願っている人は、幸せになれない」ということ。

 もう一つは、「誰かを幸せにしようとしている人は、相手を不幸にする」ということ。

 

 何故か?

 そんなの知らない。

 ただ、僕のまわりで見てきた人達は、みんなそうだったという話だ。

 

 「誰かに幸せにしてもらいたい」と願っている人は、大抵その人を幸せにしない身勝手でワガママで横暴な人間とばかり付き合っていた。

 また、「誰かを幸せにしたい」と考える人は、大抵ただの押しつけ屋だった。

 相手のことを考えず、自分にとって良いと思えるものを押し付けるだけ、結果的に相手を不幸にする。

 そういう人ばかりだった。

 

 アンドレ・レニエはこう言った。

 「どうか僕を幸福にしようとしないで下さい。それは僕に任せてください」

 

 僕もこの言葉に強く共感する。

 例え恋人だろうが、親だろうが、家族だろうが、僕に「幸せを与えよう」なんて思わないで欲しい。

 同時に僕も、他人に幸せを与えようなんて思わない。

 ただ、だからといって「幸せを願わない」わけではない。

 

 だから僕がすることは、「相手の自由意志を尊重し、行動を束縛しないこと」それだけだ。

 僕にとっては、「こうした方がいいあぁした方がいい」と思うことがあっても、それはあくまでも僕にとっての話。

 相手にとっても同じとは限らない。

 僕はただ見守るだけ、相手に任せるだけ。

 あとはその人次第。

 

 でも本当の幸せって、そういうものなんじゃないかね。

 

 誰かに幸せにしてもらいたいと思っている人は、そもそも自分にとっての具体的な幸せのイメージを持っているのかい?

 持っていないだろう?

 だから幸せになれないんじゃないのかい。

 

 誰かを幸せにしたいと考えている人は、どれだけ相手のことを理解しているつもりなんだ。

 長年連れ添った夫婦間でも、相手のことなんて半分も理解できていないと言われているのに、それはただの横暴と傲慢ではないか。

 

 本当の幸せって、そういうものじゃないと思うよ。

 本当の幸せって、他人に与えたり与えられたりするものじゃなくて、自らの意思が思いが感情が、具体的な行動として承認され許可され実行に移されることだと思うよ。

 だから、心から誰かの幸せを願うのであれば、僕たちができることはたった一つ。

 相手の行動可能性の自由を、最大限まで広げてあげること。

 それだけだと思うよ。

 

 以上、とあるニートの幸せに関する考察でござった。