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「ゲーム悪玉論」が抱く『三つの罪』

 本日は久々に書評でござる。
 といっても今回は書籍ではなくマンガ。 
  






 大東京トイボックスというマンガ(全10巻)を読みました。
 そしたら、やべー心打たれたのでこの記事を書いている。
 

 まず端的に感想を述べると

 1巻と10巻で、まるで別の物語のようだった。
 1巻は、ゲームクリエイターに憧れてゲーム会社に就職した百田モモっていう女の子の、日々のがんばり物語。
 ゲームはこうやって作られていくんだ、その中でこんな葛藤があるんだ、みんなこんなふうに頑張っているんだというのがわかる。
 そういう『職業の裏方見せます系』の物語。

 しかしこれが、徐々に変わっていき……

 後半は、『ゲームの表現規制を画策する連中との政治的な戦い』とか、どんどん話のスケールが大きくなってく。
 人によっては『ついていけねえよっ!』ってなっちゃいそうな勢いの、スケールチェンジ。
 だが、そこがすごくいい!!
 この読者置いてけぼりな感じが良い。
 筆者が書きたいことを詰め込んでる感じが良い。
 魂を感じて良い。

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 以下ネタバレあり。

 僕は普段こういう記事を書く時は、なるべくネタバレをしないように書くんだけども、今回ばかりは『一番心打たれた場面』を説明するのに、どうしてもネタバレが必要になってしまうので諦める。
 ネタバレが嫌いな人は読まないでね。
 それじゃいくよー。


 僕がこの作品で感動したポイント:1
 「ゲーム悪玉論は、ゲーム好きにとって侮辱である


 この作品中のドイツで、銃乱射事件が起きるんですね。
 で、この時のやり口が、ソードクロニクルという人気ゲームのワンシーンにそっくりだったので、世の中の大人達はみんな、『やはりゲームは子供に悪影響を与える』みたいな印象を抱いて行く。

 これに関して、作中の主人公?である百田モモはこう言います。

 アホらし。
 師匠(ソードの監督のこと)が殺したわけでも、殺せ言うたわけでもないやないですか
 小学五年生のとき、わりとヘビーないじめにあいました。それ以来、学校行けへんようになって、いわゆる不登校ってやつです。小学校の卒業式も中学校の入学式も行ってません。
 あの頃はとにかく世界が怖かった。自分だけがひとりぼっちな気ィしてました。そんなときに出会うたのが初代ソードです。
 「いつか自分もこういうゲーム作りたい。絶対なってみせるって。やりたいことが見つかったとき、世間は前より怖くなくなってました」
 「表に出てこないだけで、うちのようにゲームに命を救われた人だって、たくさんいてるはずです」


 もうこのセリフを見た瞬間、涙が出そうになった。
 そうだよなぁ。
 ゲームの悪影響ばかりが槍玉にあがるけど、実際はゲームに命を救われた人だっているはずだよなぁ。
 悪影響、悪影響って言うけどさ、本当は、ゲームがこんな風に人を救うことだって充分にあるはずだよね。


 僕がこの作品で感動したポイント:2
 「ゲーム悪玉論は、加害者にとっても侮辱である


 作中に、卜部・ジークフリート・アデナウアーという男が出てきます。
 彼はゲームの自主規制団体を設立し、健全なゲームだけを作ろうとします。

 しかし彼の経歴を調べたところ、前述のドイツの銃乱射事件で息子を失っていることが判明しました。
 それでみんなが確信します。
 「アデナウアーは、ゲームを憎み、ゲームを潰そうとしている。息子の復讐を遂げようとしている」

 ……しかし最終話近くで、ソードクロニクルの元監督「天川太陽」とアデナウアーが、隔離された地下室で対峙したとき、アデナウアーはこう言います。

 私はね、見たいんですよ。
 人の本来の姿を。
 平坦になったその世界で、誰かが誰かを殺したとき、人は何を吊るし上げるのか?
 私はそれが知りたい
 あなたの手で証明してほしいのです。
 自分をいじめたクラスメイトへの命を賭けた復讐。
 息子の絶望は、ゲームの悪影響なんて陳腐な理由では断じてない

 なんとアデナウアーは、ドイツ銃乱射事件で息子を殺された男ではなかったのです。
 彼の息子は、銃乱射事件を起こした子だったのです。

 彼の息子が銃乱射事件を起こしたのは、単純に「いじめ」が原因でした。
 しかし世間では、いじめのことは何も触れられず、ゲームの悪影響ばかりが連日のように報道されていました。
 アデナウアーはそれが許せなかった。

 自分の息子が人殺しをしたのは、あくまでもいじめが原因なのに、世間はそのことに見向きもしない。
 息子が本当に無念に感じていたこと、悲しいと感じていたこと、辛いと感じていたことについては、誰も見向きもせず、ただただゲームの悪影響ばかりが語られ続ける。
 アデナウアーはそれが許せなかった。
 だから、ゲームのない社会を作ろうとした。

 そのために、戸籍まで入れ替え、わざわざ遠い日本までやってきて、彼は息子の無念を晴らそうとした。
 ゲームを潰し、その先で人々が、次に何を「悪者」にするのかを見届けるために。

 もう、このシーンもやべー涙が出そうになった。
 そうだよな。
 これも言われてみれば、確かにその通りだよ。
 人が人を殺すときってのは、もっと何か大きな原因があるんだよ。
 それを、「ゲームの悪影響」なんて陳腐な理由で語られちゃ、犯罪加害者にとっても侮辱でしかないよな。




 というか今ここまで書いて気付いたけど、「加害者が犯罪を犯した要因」を見誤ることは、長い目で見れば同系犯罪の防止を見誤ることにも繋がるので、それは結局のところ犯罪被害者の死を無駄にしているということでもあるよね。
 そう考えると、ゲーム悪玉論とは

  1. ゲーム好きにとっては侮辱
  2. 加害者にとっても侮辱
  3. 被害者の死を無駄にする

  という三つの罪を抱く考え方なのかもしれない。

 僕はもともとゲーム悪玉論(というか環境犯罪誘因説)には反対の立場の人間なんだけれども、改めてこういった考え方にはもっともっとノーを唱えていかないといけないなと感じた。
 でないとこれは、ゲーム好き・加害者・被害者の三方がみんなで不幸になっている構図だ。

 そんな悲しいものがこの世にいつまでもあってくれちゃ困る。
 そんな世の中は悲し過ぎる。
 というわけで、僕はこれからも環境犯罪誘因説には反対の立場を表明していこうと思いますです。

 とりあえず大東京トイボックスおもしろかったわ

 ゲーム好きな人は是非読んでください。
 制作の裏方とかゲームに関するあらゆる哲学が垣間見れて、おもしろいです。
 ゲーム好きじゃない人も是非読んで下さい。
 環境犯罪誘因説関連に関して、色々と考えさせられて面白いです。

 最後に、この作品中で重要なキーワードとなる、ドイツ人牧師マルティン・ニーメラー のこんな詩を紹介して終わろうと思います。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
 
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
 
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった