PR

あらゆる「○○であるべき」はただの感情の押しつけではなかろうか

 世の中には、レストランで料理の写真を撮られることに怒っているシェフ達がいるそうだ。
 彼らの主張は以下の通りである。

 「レストランで料理の写真撮るな」、仏シェフたちの怒り

 「私たちは客に安らげるひと時を提供しているのだ。そのためには携帯電話の電源を切ってもらう必要がある」
「ツイートされて、コメントが書き込まれ、それに返信して…そんなことをしてる内に料理は冷めてしまう」


C789_spnikarandakarubona-ra500-thumb-autox450%-2406


 安らげる一時論に関しては
 そもそも「安らげる状態の定義なんて人それぞれじゃね?」って話だ。
 個人的には携帯電話で写真撮影もできないような店なんて、仰々しくてとっても安らげたもんじゃないと感じる。

 料理が冷めてしまう論に関しては
 誰もが、「写真撮影して、ツイートに返信してまでしてるわけじゃなくね?」と思う。
 少なくとも僕の場合は、とりあえず写真だけ撮ったら即座に食べるよ。
 僕はTwitterじゃなくてブログに記事としてあげる人なので、さすがに食べながらそこまでは出来ない。
 それは人によるんだろうから、そういう細かいところまで配慮せずに、「写真撮るやつ=全て料理よりTwitterに夢中」みたいな決めつけは良くないと思う。

 なんというか……
 これは料理以外この世の全ての万物に当てはめて言えることだと思うんだけど、何事も「○○であるべき」という理屈は、だいたいただの感情の押しつけだと思う。
 この世に本当に 「○○であるべき」ものなんて、実際は何も無いんじゃなかろうか。
 ただその時々の状況に応じて、「今は○○とするしかない」ものがあるだけ。
 でも状況が変われば、そんなもんどんどん変わってくんだ。
 それなのに、過去の「○○とするしかない」にいつまでも縛られた人達がいるから、こういう軋轢は生まれるのだと思う。 

ヘンな校則
ヘンな校則研究会
イースト・プレス
2010-07-01